CRACKIN'DJ PART2 Column

これがクラッキン
DJパート2だ!


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聴けちゃうぞ!


クラッキンDJ2
稼動店舗の紹介

「ふっく福山と呼んでください。」
以下筆者訳
みんな元気にやっていますか!
キミ誰だって?


秋田生まれのDJfuku(仮名)ことふっく福山です。

一昨年SEGAに入社して初めての仕事がなんと
この「カックラキンDJ」
(おっと間違えました、年がばれてしまう)
だった訳で、自分としては
なんとも思い入れがあるのです。

Hiro師匠、光吉氏の両巨匠達の事は
みんなよく 御承知と思いますので、
今回は私の自己紹介でもしようかなという次第です。  

まず小学校で姉の真似をして近所のピアノ教室に通って
ピアノ習い始めました。
ドビュッシーが好きで、月の光なんて弾いたものです。
その頃でしょうか、OUTRUNやFANTASY ZONEのソノシート
(時代を感じますね)を聴いたのは。
それが実はHiro師匠との一方的な出会いだった訳です
(その後会ったのが就職活動の時の面接でしたが)。  
中学に入ってチェッカーズみたいなドラムが演りたくて
何を勘違いしたのかブラスバンド部に入ったのですが、
先輩に無理矢理トランペットを持たされたんです。
それ以来トランペットになってしまいました。
高校に行ってもブラバンをやっていたのですが、当時流行っていたYAMAHAのV50というキーボードを買い打ち込みで
T-○クウェアのコピーとかやって友達に
無理矢理聴かせていましたね。  
上京して某理科系の大学に入ったものの、
さっぱり勉強はやる気がなくて。
ジャズ研究会なんて地味なサークルに入ってしまったんですが、
その時は友人F氏とディスコやソウル、
スカっぽいBANDもやっていました。
F氏は今、某大手ゲームメーカーK社でバリバリ音ゲ〜
を作ってるそうです。いわゆる同業ってやつですね。
当時自分の中で一番はまったのは
BRECKER BROTHERSというフュージョンBANDです。
よくBANDでコピーしたものです。  
昔から生BANDフェチだった私ですが、4年生になって、
音楽を生業としている先輩J氏の影響で、
ふとゲーム音楽を作る人になりたいって思い、
卒研も行かず打ち込みばっかりしていました。
結果的にそれが就職活動になった訳です。  
打ち込みもいいけど、やっぱライブが好きですからね、
今だにジャズ、フュージョンのライブをしています。
たまに駅前でストリートしてますので、
見かけたら声でもかけてください。   

私の長い話はこのぐらいにして、
そろそろクラッキンDJの話でもしましょう。  
そもそもDJって何だろう?ラジオで話している人?
そうでなければMCハマー見たいな人?
という所から始めたのですが、  
最初はCLUBという若者が夜中踊ってる所に
(高校のクラブ活動以来です)連れていかれました。
ほかにはDJ VIDEOも見たけれども、
やはりDJ L?K?OのCOOLなPLAYを生で見たときには
もう釘付けになっておもわずファンになってしまいました。  
こんな感じでDJというのをだんだんとわかってきたのですが、
自称「リ〜マンジャズトランペッタ〜」の私がまさか
DJのとりこになるなんて自分でも信じられません。  
この辺で制作悲話、ではなかった制作秘話でも書いてみましょう。  
今回の仕事の難しかった所は、まずプレイヤーが
自分で操作してるって感じを出すための工夫ですね。
例えばジャグリングの時ですね。
右のレコードから左のレコードへ移るのをどう表現するかという所。
もうひとつゲームということで、プレイヤーが
いっぱい擦ったりジャグリングするDJ BATTLE風な曲が
望ましいと思うのですが、それでいでRAPも入ったり歌ものが
あったりという相反する条件を満たさねばいけなかったんですね。
それによってレコーディングしたRAPやvocalをcutするのは
作り手として心が痛むんです。  
レコーディングと言えば、レコーディング中に時間がなくなって、
急きょ3声のハモリを2声にアレンジし直したりもしました。
あの時はあせったものです。

そんな数々の苦労を経て今に至る訳です。   

というわけで、音楽好きなあなた、ゲーム好きなあなたはこのクラッキンDJでDJ気分を味わいましょう、
それでさらにギャラリーを釘付けにして下さい。  
それではまた会いましょう。
2001年7月4日 ふっく福山