インタビューやコラムなどなど、ゲームのあとはクラブハウスでちょっと一息。

プレイステーション2版の発売を記念して、いろんな人に「パワスマ」に対する熱い思いを語ってもらうというこのコーナー。
日本国内にとどまらず、アメリカやヨーロッパでも人気が高い「パワスマ」ですもん、ワールドワイドかつグローバル(なんじゃそら)な方々にも執筆していただく予定。
記念すべき第一回目は、フランス生まれで現在は日本在住のゲームライター、現在はGameWaveDVD(エンターブレイン刊)で活躍中の“麻布アルノ”ことアルノ・サンマルタンさんです。ボンジョルノ〜〜!

アルノ・サンマルタン
1976年1月18日南仏生まれ。パリ第7大学卒。
フランスのゲーム誌の特派員として1996年に来日。 1998年より、フランス、日本、香港のゲーム誌でライターとして活躍。2002年に(株)エンターブレイン入社。現在、同社の映像企画部所属。一番好きなゲームは『大魔界村』と『ザ・スーパー忍』。一番好きな機種はPCエンジン。音楽ならYMO。
■最高のテニスゲームまでの20年間

私が初めてプレイした“本各的”テニスゲームは多分アタリVCS2600という北米産ゲーム機の『テニス』だったと思います。 もはや18年前の話ですね。Activisionから発売されたこのゲームカートリッジは数年間「私的トップ1」でした。

そして1989年。Blue Byte社から『Great Courts』が発表されました。 対応機種はAmiga500とAtari STという欧米で大人気パーソナルコンピュータ(というかほとんどのユーザーはゲーム機としてしか使用していなかったが)。 当時、美しいグラフィックとシンプルな操作がウリだった『Great Courts』はテニスゲームの定番となりました。 翌年『Great Courts II』が発売され、これもまた大人気ソフトに。しかし、個人的にはこのシリーズをあまり楽しいと思いませんでした。 爽快感があまりなくて、デザインが少しかっこ悪くて、なんか感覚的に違うなぁとか思いましたね。

当時のマイゲーム機はPCエンジン。
ゲーム誌で結構高く評価されていたPCエンジン版『プロテニス ワールドコート』を買おうと決めたのもその時でした。 1988年に日本で発売されたこのソフトを2年ほど遅れて遊びましたが、かなり気に入りました。 可愛いいグラフィックと演出、グッドな操作、4人同時プレイなどの要素があって、和製テニスゲームもイケテるなぁ、とつくづく感じたのです。
そして1991年、『ファイナルマッチテニス』発売。その時、フランス人のゲーマーが望んでいた完璧なテニスゲームが誕生しました。 PCエンジン専用ソフトとして発売されたこの作品のグラフィックは良くも悪くも普通でしたが、操作感、ゲームバランス、プレイ感覚、 面白さといった部分はみんな満点でした。以降、様々なゲーム機で多数のテニスゲームが発売されましたが、 テニスゲームの歴史を変えたこの傑作はフランスやイギリスのゲーム誌において約10年間にわったてベスト1の座をゆずることはありませんでした・・・。

そして『パワースマッシュ』誕生――。
当時はまだ開発中でしたが、ヒットメーカー本社で業務用版を初めて見せてもらった時、かなりのショックをうけたことを覚えています。 「きたー!」とすぐ思いました。これはきっと史上最高のテニスゲームになる、とすぐ思いました。
以降、AC版『パワースマッシュ』に数万円を使って遊んだのをこれからも忘れられません。ゲーセンに普段ほとんど通わない私でも、 楽しすぎて毎日毎日プレイしにゲーセンに行っていました。そんなテニスゲームのドリームキャスト版が『Virtua Tennis』と名を変えて欧州で発売された時ももちろん、 最高傑作と評価されました。リアルなグラフィックを追求したこのソフトは華麗なグラフィックが好きなフランス人プレイヤーに衝撃を与えました。 そしてほかのテニスゲームと比較出来ないほどのパーフェクトは操作や楽しさが「お手本」と言われ続けた『ファイナルマッチテニス』を完全に超えました。 テニスゲームの新たな時代が、そんなソフトの登場によって始まったのです。

現在では、さらに大きく進化した続編のドリームキャスト版『Virtua Tennis 2』(『パワースマッシュ2』)が欧州で史上最高のテニスゲームと評価されています。
そんな優秀な作品が今年末からPS2で新たに登場することによって、今までにないテニスゲームの大ヒットとなるでしょう。





 
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