Hitmakerのスタッフによるリレーコラムです


ヒットメーカーHPをご覧の皆様、初めまして。
バーチャロンチームに在籍している企画の杣木(そまき)と申します。

AM2研時代にシェンムーチームで一緒に仕事をしたデザイナー迫村君からのリレーコラム依頼、御題は「こだわりの一品」ですか。

ふむぅ、、、
こだわりは人一倍ある私なので、何を言おうか言うまいか、、、

とりあえず、古くからの趣味の一つ、
アーケードゲームでの「こだわりの一品」を紹介しまっす。

アタリの「マーブルマッドネス」
古くからアーケードゲームを嗜む御仁なら遊んだこともあると思いますが、トラックボールで画面内のビー玉を操作し、転がし続けてゴールまで到達するという1980年代の傑作アクションゲームであります。

このゲームが日本国内に出回った当時、高校生だった私はひたすらアーケードゲームを嗜むマニアゲーマー:スコアラー(注1)でありました。

ある日、全国のハイスコアをチェックすべく毎月購読していたベーマガ(注2)に当のマーブルマッドネスの紹介記事が掲載され、その摩訶不思議な登場キャラと理路整然としたMAPの組み合わせの違和感から強烈な興味を覚えたが、遊んでみたくとも海外のアーケードゲームは田舎には絶対に入荷せん(注3)といういかんともしがたい状況のまま、黙々とゼビウスをカンストする日々(注4)を送っておりました。
・此処、他にもドルアーガの塔で55階の宝の出し方を模索する日々(注5)でも可
・またはグロブダーの残り2クレジットを虎視眈々と狙う日々(注6)でも可

そしてまたとある日、「例のゲーム、仙台キャロット(注7)に入荷したっス」と知人からの電話が来たときには、いてもたっても居られずに約50Km程離れた仙台市まで即、決、断、で向かいましたよ、ええ。

初プレイはもうドキドキ。
コロコロとトラックボールを回すものの思った方向にうまく転がせないもどかしさを感じつつ、初めて垣間見る異質なワンダーランドに下りたった我の分身、青いビー球に感情移入している私がいるのでありました。

■高い場所から落下し、割れるビー球、箒で履かれる残骸。復活。
「痛ぇ、死んだよ、履かれたよ」

■緑色の謎の生物に当たって気絶するビー球、その後ジャンプして捕食体勢を取った生物に食われ、消滅。復活。
「うきゃ、混乱?、あっ、なんか食われた、死んだよ」

■床に漂う水溜り状のスライムに乗ったら溶かされるビー球、消滅。復活。
「ぎゃ、溶けてる、即死ですか?即死ですね、、、」

純粋に、奇妙な世界を「転がる」楽しさでなぜか嬉しくなるおかしな自分。

我の分身、ビー球や黒球、謎の生物、スライムなどの敵も、MAPの要所に設置されたトラップ郡にもさりげなくつけられた心憎い「動きの演出」によって、活き活きとその世界で生活している住人に見えてしまう。

はっきりと言えば「マーブルマッドネス」というゲームに「一目惚れ」しましたね。
先に雑誌で写真を見ていたから「見合い写真」で気に入った、のほうがニュアンスあってるかも、、、

その後、時には電車(片道1時間)で、
そして時には自転車(片道1時間半)で、
そして原付免許を取ってからはバイク(片道40分)で、
日参とはいきませんでしたが月一程度でプレイしに行くほど、イカレテマシタネ、ウム。

初めてULTIMATE RACE(最終面)をクリアしたときは「やり遂げた」という満足感で手がブルブルと震えて、顔も体も火照ってしばしゲームセンターのベンチに座って放心するほど感動したなあ。
もちろん、手がブルブル震えてるってのはトラックボールの転がしすぎで掌表面がジンジンしているだけであり、火照って放心するのも、汗だくでぐったりとも言えるわけで、単なる心の錯覚なんですが。

へたくそながらも何度もクリアできるようになったとき、遂に畏れていた事態が発生。
筐体からの収益(インカム)が落ちてきたため、別のゲームに入れ替えさせられてしまうのでありました。

ゲームセンターからの筐体撤去による、ゲームとの別れ。
それはアーケードゲームとしての宿命。
どんなに人気があろうとも、金の稼げないゲームに生き残る道はない。
当然、名残を惜しんで掌を血塗れにして遊びました。しくしく。

しばらくして、筐体が撤去されてからも面白かったマーブルマッドネスへの想いはぶすぶすと燻り始め、いつしか「マーブルマッドネスを筐体ごと購入し、夜寝る前に1マーブル、朝起きたら1マーブルっつーのを日課にしたい所存」などとのたまうまでになっておりました。

そしてそして、そんな想いを抱きつつ、無駄に齢を重ねてきた私は、ついにそのアホな妄想を実現してしまいましたよ、アパパパパ。
ずばり、買うてしまいましたわ、筐体そのまんま。
まさに「こだわりの一品」。

しかも、会社に期間限定で設置して、昼休みにプレイできるようにしちゃったり、、、
自宅に持ち帰るの大変、しかも部屋片付けて設置場所も確保せねばならないなど、問題点山積み。
我ながら、気が狂ってるなぁと思いますが実際「マッドネス:狂気、狂気のさた、熱狂」っつーくらいですし、自覚もしてるので、気にせず突っ走るよ、同じアホなら踊らにゃソンソン、バルガス、エグゼドエグゼスですわ。

とまあ、一事が万事、この調子なので、うかつに心の琴線に触れてしまったりするとどこまでも際限なくのめりこむ困った奴なのであります、私。

他にも惚れこんだゲーム(本物を入手したい物、死ぬまで遊び倒したい物)は・・・

「グロブダー」(ナムコ)入手済み
難易度が跳ね上がる68、69のフォートレス2連戦が相変わらず越せない。いづれは知り合いの意思を継いで、1コインで1面から100面までクリア時に残機ボーナス含めて1000万の桁を見ねばなるまい。

「SDI」(セガ)入手済み
とりあえずエブリエクステンドでノーミス、ALLパーフェクト2回到達(しかし点効率が鬼のように低いし、アドリブプレイのためパターンも安定していない)

サンダーセプター(ナムコ)
サンダーセプター2(3D)の基盤のみ入手、いづれは筐体も押さえておきたい。

スプレンダーブラスト(アルファ電子)
昔5000円で売ってたときに買っていればよかったといまでも後悔。

あと、当然ですが「電脳戦機バーチャロン」シリーズ(OMG、OT5.66、フォース)も揃えておきたい所。絶対に筐体倉庫が必要なラインナップですな。>死

あれ?
こだわりの一品だったはずが、何品も記してしまっておりますな。
ごめんなさい、私の話、長すぎますよね?

最後に締めとして、私が創りだしたいゲームの輪郭を記してコラムの終わりとします。

ぱっと見るだけで「このゲームはいままでの物とは違う、、、」と感じてもらえ、そのゲームでしか味わえない独特の面白さにビリビリッと痺れるゲーム、私にとってのマーブルマッドネスのように、いつまでもプレイヤーが楽しんでもらえるゲームをこだわりを持って創っていきたいと思います。

(人によってはバーチャロンだったり、バーチャファイターだったり、マーブルマッドネスだったり、ゼビウスだったり、ストリートファイターだったり、アタリのスターウォーズだったりするっていうとなんとなく解りますか?)

それでは、次回のコラムはなぜかヒットメーカー社内でいきなり再会した、元プレイシティキャロット新宿店の後期常連、WCCFチームの新人かつベテランのプログラマー原田君にお願いしましょうかね。
お題は「俺の職務経歴書」。
経験豊富なお話、期待してますよ。

(注1)1980年代〜90年代まで、「マイコンBASICマガジン」(電波新聞社刊)の付録であった「スーパーSOFTマガジン(後にスーパーSOFTコーナー)」内に「CHALLENGE HIGH SCORE!」という全国のゲームセンター(の一部)で集計されたゲームのスコアランキングページが存在し、そこで「全国トップ」を取るために日々努力を怠らずに邁進し続けるゲームプレイヤー達を、当時も今も「スコアラー」と呼んだのであった。
現在は「アルカディア」(エンターブレイン刊)でアーケードゲームのスコアを集計しており、脈々と点稼魂は受け継がれているようで、、、

(注2)つい先日、休刊となった「マイコンBASICマガジン」の略語。

(注3)当時のゲームセンター事情として、輸入された海外のゲームは地方には(ほぼ)入荷しないという不文律が存在していた。

(注4)ゼビウス(ナムコ)1982年に発売された縦スクロールシューティングゲーム。全16エリア構成のゲーム中、16エリアを突破すると途中の8エリアから開始となるため登場エリアの内容に慣れると開店から閉店までプレイできた。24時間営業の店舗ならばそりゃもう何度でも、、、でも256増えには要注意な。

(注5)ドルアーガの塔(ナムコ)1984年に発売された横スクロールアクションゲーム。全60階構成の塔の中に、それぞれの階で宝箱が設定されており、当時のプレイヤーは日々、試行錯誤を繰り返して一歩づつ宝箱出現条件を見つけ出していった。55階では宝箱が設置されていないようなのだが、当時は何か出るはずと信じられていた。ちなみに出回っていた55階の宝箱の出現方法は「ウィザード5匹を残したままでリザードマン3匹を殺す」などであった(当然デマ)。

(注6)グロブダー(ナムコ)1984年に発売された固定画面のシューティング(というよりバトリング)ゲーム。シビアなゲーム内容のため、100円3クレジットという異色の値段設定がなされていた。このため、1クレジットのみをプレイしてゲームオーバーとなり席を立つ一般のお客さんが頻出し、残りの2クレジット目当てでハゲタカの如く店内をうろつく飢えた学生プレイヤーも同様に頻出した。

(注7)プレイシティキャロット仙台店。
ナムコが経営するゲームセンターで大き目の店舗内には飲食コーナーなどもあり、何度もお世話になったお店でありました。現在は別の名前で営業されているみたい。


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■杣木 昌明(ディレクター)
「バーチャロン マーズ」チームのAD杣木さん。 学生時代は「エリシン」ベーマガ全国トップとかだったそうです(判る人だけ判ればよし)。
で、高校卒業後に新宿のゲーセンでバイトしたり、ゲームギアの名作「ロイアルストーン」の開発に携わったり、2研でデザイナーやってみたり・・・そんなこんなで現在はヒットメーカー所属。言ってみれば“さすらいのゲーム人”って感じっすかね。
あと、毎週ゲーム雑誌をFGしてきてくれるので、木曜日は誰かしらが彼の机で立ち読みをしてたりする(笑)。

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