Vol.09・エルコンドルパサー

100選順位:10位
エルコンドルパサー
父:Kingmambo
母:Saddlers Gal

2000年のクリスマスイブの中山競馬場。有馬記念を含むすべてのレース終了後、ターフビジョンでは20世紀の名馬100選に選ばれた馬たちが紹介されていた。そして、いつまでもその場に残っていた物好きな人達は、自分のお気に入りの馬が紹介されると盛大に拍手や歓声をおくっていた。
で、いよいよ第10位、我が愛しのエルコンドルパサー。頑張って拍手をしなきゃと構えていたら・・・エルコンドルパサーに声援をおくっているのって私を含むほんの一握り。他の馬達に比べると寂しい限り。世界で大活躍したのに以外と人気がないのねって感じ。

エルコンドルパサーは私のPOG馬でした。選んだ理由はその凝りに凝った血統に感動したから。

デビュー戦、2戦目とダートでぶっちぎりの強さで勝ってくれたおかげで、「もしかしてただのダート馬?」疑惑を抱きつつ共同通信杯へ。初めての芝はどーなのよ?と楽しみにしてたところがすごい大雨でダートに変更。でもってやっぱり勝った。ますます深まる重ダート馬疑惑。いや確かに雨乞いをしたんですけどね。私も。
ところがその後、ニュージーランドT、NHKマイルCを続けて勝って、「なんだ、芝も全然オッケーじゃん」と胸をなで下ろしたところで、POG期間は終了。ここまで一度も負けてないのよね。
そして、毎日王冠。あの絶好調バリバリだったサイレンススズカには結局追いつけなかった。仕方ないよね、あの頃のスズカだもん。でもライバルの(と私は認識していた)同期のグラスワンダーには先着した。的場均の争奪戦には負けたけど。
でもそのあとのジャパンカップでは偉かった。まだ4歳(当時)だし、距離も初めてだったし、っていうそんな彼がエアグルーヴ、スペシャルウイークを抑えて先頭でゴールに飛び込んできた時は本当にうれしかった。
その翌年、彼はついに海外へ行ってしまった。海外のレースが見れる環境になかった私はラジオたんぱが頼り。映像なしで実況だけを聞いてるのって本当にもどかしい。凱旋門賞のときも、勝ったと思ったよ。ゴール直前まで。

99年のジャパンカップの日。エルコンドルパサーの引退式の日。こともあろうに私は大寝坊してしまい、東京競馬場に着いた時にはとっくに昼休みは終わっていたのでした。彼に会えなかった悲しみを抱きながら、ジャパンカップは、凱旋門賞でエルコンドルパサーを破ったモンジューから勝負。結果はとほほの4着。何しに来たんだろうと自分を責めつつ、エルコンドルパサーのテレフォンカードを買ってさみしく家路をたどったのでした。


text:水流添(プログラマー)