ライドに乗って宇宙を旅しながらシューティングを行うアトラクション。1994年にリリースされた。


VR-1の初期のアイデアスケッチ(上)とHMDの試作品(下)。かけためがねに映像が出る仕組みだった。


メガ・バイザーディスプレイの試作品。前の人が使い終わったら、アテンダーが布でひとつひとつ拭いて、次のプレイヤーに渡していた。

プロローグ
ヴァーチャルリアリティ(仮想現実)−今では聞きなれた言葉になってしまったが、90年代初頭、流行を先取りする言葉として世の中を席巻した。ヴァーチャルリアリティを利用したゲームができないか、すでに開発を進めていた大学や企業の研究所も巻き込んで、世界初のヴァーチャルリアリティが体験できるゲームの開発が始まった…。
どうゲームに生かすか、それが問題だ
日本において、ヴァーチャルリアリティという言葉はあるトレンドの達人が流布し、一般化していったが、セガでは流行する以前にその言葉の存在が知られていた。現実には見えていないのに、リアルにそれを感じることができる。映像を使ったものならばゲームに使えるはず。さっそくマシンのスケッチを描いて企画会議でプレゼンした。当時はバブル景気の真っ最中、夢のような企画に即OKが出され、開発が始まった。意外に簡単な企画が通ってしまったことに、開発チームのスタッフは戸惑いながらもプロジェクトがスタートしたのだった。
VRに関する研究所を回れ!
そのころヴァーチャルリアリティについて研究しているところは国内外にわずかながらあった。スタッフは、東大工学部を始めとする大学の研究所や英国バーチャリティー社などのメーカーの研究所に連絡を取り、その技術を見せてもらいにでかけた。もちろん知識や技術の流出を恐れたところからは門前払いもあった。しかし、それよりも世界初ともいえるヴァーチャルリアリティが体感できるゲームの誕生をみな願った。特にバーチャリティー社とはゲームを共同開発するところまで協力体制が整った。「究極の没入感のあるゲームを作ろう」それが合言葉になっていった。
頭に装着したメカから映像が
ではどうやって映像を映し出すのか? 究極の没入感を感じてもらうには、プレイヤーひとりひとりが映像を見られること。そこでめがねのようなものをつけて、映像をそこに映し出すスタイルを考案した。コンピュータグラフィック3Dの画像を作るのは、セガにとってはお手の物。その技術はすでに国内外から認められていたが、プレイヤーが向けた視線の先にある映像を映し出すレンダリングの技術については開発が急がれた。上を向いたら頭上の風景が、下を向いたら足元が見える-プレイヤーはまるでその世界に入り込んだかのように感じるのだった。
3次元を察知するシステム
視線の先のCG画像を映し出すのだが、視線がどこを向いているかを察知するシステムも一苦労だった。結局はめがねにポフィマスセンサーをつけたが、微妙な角度で現れる映像も異なる。こうしてできあがったのが「メガ・バイザーディスプレイ」と呼ばれるHMD(ヘッドマウントディスプレイ)だった。もちろん当時にしては画期的なメカだったが、「これを着けて360度の映像を見るのか…」。中にはバランスが保てず、車酔いと同じような状態になる人が出ることも予想された。そこでプロジェクトにかかわらず、メカトロのスタッフはみな都内の病院にある研究室に出向き、メガ・バイザーディスプレイを着け、被験者となって実際に映像を体験した。いわゆる人体実験だが、誰もが楽しむアトラクションにするため努力は続けられた。
早く誕生しすぎたアトラクション!?
VR-1は、セガによるテーマパーク第二号「横浜ジョイポリス」に置かれるのが決まっていた。ゲーム機というよりは、油圧式のモーションライドで32人(4台×8人)が一度にシューティングができるアトラクションであり、当然、テーマパークの目玉でもあった。当初は話題となり、長蛇の列ができる人気アトラクションであったが、ヘッドマウントディプレイが重いこと、使用後は次の人にと使い回していかなければならないなど、ユーザーからは不満の声が上がり、世界初のシステムを搭載したゲーム機はいつしかフェイドアウトしていった。
しかし、と開発チームは思う。「今の技術を持ってすれば、ヘッドマウントディプレイは改良でき、面白いものができるはず」と。CGの技術もさらに進歩した現在、映画やゲームを始め、あらゆる分野でこれらの技術は使われている。密かに土手は「ハリウッドのSF映画のようなゲームができるはず」と胸を張るのだった。