土手が1週間で書き上げたというイメージ図。これで運命が決まった。

「GHOST HUNTERS」の初期スケッチ


「MAD BAZOOKA」の初期スケッチ

プレビュービデオ撮影にも、土手は参加した。

完成したVR-1。バーチャルゲームのなかでも群を抜いていた。
プロローグ
80年代後半、当時博覧会やテーマパークが大流行していた中、株ナムコがテーマパークをオープン、SEGA社内でもその話題で活気付いていた。社長室に当時の開発企画ディレクターの水口と土手が呼ばれ、ひとつの命題を言いつけられた。それは「テーマパークをつくる。1週間で原案を持ってこい」というもの。ゲームやアトラクションの開発の実績はあっても、テーマパークに関しては素人同然。SEGAならではのテーマパークを求めて、スタッフの闘いは始まった。
始まりは1枚のイラストから
1週間後、社長に見せたのが、たった1枚のイメージイラスト。詳しい事業計画ではなく、ただこんなのがあればいいなと描いたものだった。あくまでも自分のイメージをイラストにしたものである。しかし思いもよらず、社長は「よし!これで行こう!」と即決。その絵に書かれた10種のアトラクションのうち半分以上がGOになった。すぐにプロジェクトチームが組まれ、本場のテーマパークを視察するため、アメリカへ飛んだのだった。とにかくスピード命の時代だった。
テーマはいったい何?
テーマパークと名のつく限りなんらかのテーマを考えなければならない。スタート時のコンセプトからずっと頭を悩ませていた。
「宇宙」「未来」「海底」「お祭り」「秘密研究室」? どれもありふれている。考えれば考えるほど疑問が湧いてきた。これらは単なる内装のビジュアルテーマにすぎない。スタッフは根底にあるテーマが欲しかった。「我々セガが培ってきたノウハウを活かせ、セガらしいテーマパークとはいったいなんなんだろう?」と。
そうこうしているうちに各プロジェクトはどんどん進んでいく。もちろん各プロジェクトは雑多で統一性がない。面白いものだけを抜粋しただけだから当然である。
でもよく見れば一つ共通点があった。「インタラクティブ(双方向)」ということ。ゲームの世界だと当たり前だが、ボタンを押す、ハンドルを操作する、ガンを打つ、どれもプレーヤー参加型のインタラクティブ性のあるものだが、今までの遊園地やテーマパークにはそういうスタイルのものは少なかった。「なんだ答えは身近にあった。我々やってきた事をそのままいかせばいいんだ。今までにない新しいテーマパークが生まれる」それから全てのアトラクションに“双方向の楽しみ”が加えられた。
待ち受ける困難 克服のため勉強の毎日
プロジェクトがスタートして1ヶ月ほど経ったある日、新聞を見て驚いた。なんとそこに出ていたのは、第1号店のオープン予告の記事。場所やグランドオープンの日、そこに入るテナント、そして一番目玉であるセガのテーマパークの事が発表されていた。残された期間はあと10ヶ月。 しかし、その時点で問題が山積みであることに気付き始めていた。
土手らはずっとゲーム機の開発をしてきた。それらほとんどは機械単体で完結する商品。いわばコンセントをさせば使える電化製品みたいなものだ。しかし、今回のテーマパークは違う。施設ものだ。建築法、消防法、PL対策などまず法律面をクリアしなくてはならない。それから、お客様の導線、スタッフルームの控え室、アトラクションの集中コントロールルーム、プレショー、スタッフの対応マニュアル、照明、音響、衣装などなど。考えなければならないことは山積していた。しかも初めてのことばかりだ。特に法律関係の事はわかっていないとやりたいこともやれなくなる。まずは勉強し、関係官庁を回る日々を繰り返した。
発想を変えろ! 異業種の人との出会い
担当することになったアトラクションには全く新しい方法論が必要とされた。これまで手掛けてきたのは、全国のゲームセンターに置く量産の商品であったのに対して、今回は大型の一品もの。量産品とは設計、安全性、デザインとすべての考え方を改める必要があった。
アトラクションの完成後も“初めて”の体験は続いた。遊園地のハード面を手掛けるメーカーと組み、照明や音響業者との話し合いを幾度となく持った。パーク内に飲食店を開くため、外食産業の社員とも会った。時には納得するまで話し合い、時にはやりあうことも…。そんな異業種の人との出会いは、スタッフたちの視野を広げ、コラボレーションする面白さを知ることとなった。
そんな忙しい中で、着実にオープンの日は近づいていた…。
そしてグランドオープン!
1992年8月オープン当日の朝。スタッフはまだアトラクションの最終調整をしていた。連日の徹夜で意識がもうろうとしている中、オープニングセレモニーの音楽がかすかに聞こえてくる。テープカットの最中で、お客様や取材人による長蛇の列ができているらしいという報告を受けた。みんなが待ちに待った大阪ATC(アジアトレードセンター)のオープンの日だ。長いようで短かった10ヶ月。本社のある東京から何度ここへ通ったことだろう。最後の1ヵ月はほとんど大阪に泊り込んだ。
オープンを祝いながら、思った。「アミューズメントパークもオレたちが今まで作ってきたゲームも、人を楽しませるということは同じ。そんな気持ちで臨んだことが、ここまで来られたのだ」と。 お客様の喜ぶ顔を見た瞬間、連日の疲れが吹き飛んだ。